轟課長
英社員

英太郎のひとりごと Episode9 Part-2

額面通り受け取るだけで精いっぱい

 中学の時でした。古典の授業で枕草子の「春はあけぼの~夏は夜~秋は夕暮れ~冬はつとめて」の現代語訳に「春はあけぼの(が良い)~雲がたなびくの(が良い)」とのように(が良い)と言葉を補うと意味が分かりやすくなると教師に指示され、私は次のように主張して、ものすごい反発をした経験があります。

  清少納言は「春はあけぼの」しか言っていないのだから「春はあけぼので」
 いいじゃないか、なぜ余計な言葉を加えるんだ。分かりやすい現代語に訳すな
 ら「春って あけぼのだよね」で十分意味が通る。
  故橋本治氏の「桃尻語訳枕草子」を読んでいて大いに感化されていたもので
 すから、一切主張は曲げません。「春はあけぼの」は詩的な体言止めを味わえば
 よいのであって、余計な言葉はいらない。その証拠に必要なところには「をか
 し」や「あはれ」が使われている。
 (が良い)なんて言葉を加えること自体が間違っている。「白き灰がちになりて
 わろし」も「灰がちになって(見た目が)良くない」なんて訳さずに「灰ばか
 りになってダサい」でよいじゃないか、あか抜けない言葉を勝手に加えるな!

 頑として主張は変えませんでしたから、そりゃあ先生も手を焼いたでしょう。
「If~then~else」の条件分岐で牛乳と卵を買う話と何の関係があるんだと言う人もいるでしょう。理由は単純です。私のようなASDは「春はあけぼの」としか言っていないのに、勝手に「春はあけぼの(が良い)」と言葉を加えて解釈したり、「牛乳を買ってきてください。卵があれば6個買ってきてください。」としか言われていないのに、「(普段買っているのが1ℓの牛乳だから1ℓの)牛乳を1本買ってきてください、(ついでに、もし)卵を売っていたら(卵も)6個買ってきてください」と言葉を加えて変換したりすることに、我慢がならないのです。
「そんなことは言葉にしていないぞ!」と、富士山のてっぺんから日本中に怒鳴りたくなる気分です。

 相手の要求通り行動するために補足する言葉を選ぶにあたって、私には遠く理解が及ばない一定のルールや法則が定型の人にはあるのかもしれないと思い、気負いこんで轟さんにたずねました。
答えは、「そんなものはない」でした。なんとも拍子抜けの回答です。轟さんは何の躊躇いもなく素っ気ないほどスパッと口にしました。
牛乳を買う問いならば、その場の状況や人間関係や過去の経験に雰囲気などで補足する内容を判断するでした。
 前々回に書いたように、私のようなASDや自閉症の人は視線回避をしてしまいますから、相手の表情から何かを読み取ることなどできません。マルチタスクが苦手ですから、相手の言葉を正しく理解することに頭を回転させるエネルギーのほとんどを費やしていて、話についていくだけでやっとこさの状態でいます。
 ですから、私のようなASDから見ると、オフィスワーカーの世界ではそれほど求められないとしてもー求められないことはないでしょうねえ、「気疲れする」なんて言葉があるのですから、定型の人はオフィスワークでもASDや自閉症の人と比べたらものすごく気を遣い気配りに余念がなく過ごしているのでしょうー接客業などの先に先に気を利かしての「お・も・て・な・し」やホスピタリティなんてどこの世界の話だよと感じています。
ざっくばらんに言うと、私のようなASDの場合、相手の要求を正しく理解するだけで苦心惨憺、精いっぱいなのですから、「お・も・て・な・し」に回すエネルギーなんて残っちゃいません。そんなものに投入するリソース(エネルギー)が残っているのなら、もっと自分にとって有用なところに、そのリソースを使います。
事ほど斯様に、相手の言葉を額面通りに受け取る(理解する)ことだけで精いっぱいなんです。

体重過多だから捻挫が治らない

 だいぶ前置きが長くなりました。そろそろepisode9の解説を始めましょう。
episode9で読者の方が「なぜそんなことを」と疑問に思うところは、「捻挫が三週間も治らない どうしてどうして?」と訴えている女性に「あなたが体重過多だからだ」と私が口をはさんだ場面と思います。以下、その時のことを振り返ってみます。

 私の異動が決まり、初めてハーティ推進室に出勤する際のエレベーター内のことでした。ハーティ推進室は始業が速いので、エレベーターに乗り合わせたのは
一丸さんと、捻挫した女性と同僚の女性、私とあと一人の男性で5人でした。
エレべーターが動き出すなり私の前で一人の女性が「足の捻挫が3週間も治らない どうしてどうして?」とかなりな勢いの大きな声で隣の同僚の女性に訴えてました。同僚の女性も「随分長いのね」と答えるばかりで、当の捻挫した女性は「どうして?」を繰り返していました。聞かれた同僚の女性も「大変ね」としか答えていません。
 狭いエレベーターの籠の中で一番奥にいる私の前で、一人は「どうして?」と強く問い、答えを求められている女性も答えが見つからないように見えました。私は、もしやこの二人は外科的な知識が乏しいのかもしれない、それに大きな声で問うているのだから、エレベーターに乗り合わせた私を含めた同乗者にも答えを求めているのではないか思いました。
 しかし、乗り合わせた他の男性二人(一人は一丸さん)は「どうして?」の大きな声が聞こえていないのか、無反応です。
答えあぐねて困っているように見えた女性に対し、男気と言うか義侠心が湧いたと言うか、それだけ聞いてくるなら歌舞伎の弁天娘女男白浪ばりに「知らざあ言って聞かせやしょう」と、まあとにかく正しい答えを教えてやろうと思い立っただけです。
そして、答えあぐねている女性の代わりに、「どうして?」と強く答えを求める女性に対し回答を口にしました。その正しい答えが「あなたが体重過多だからだ」です。
 「捻挫が治らない、どうして?」と訴える女性は、お世辞にも細身ではなく骨格も肉付きもがっしりしていました。まあ、はっきり言ってかなりおデブ体型の肥満型でした。女性に対し体型のことを口にするのは憚られるくらいの知識は私にもありますから、私なりに気を使って「デブ」や「肥満体」などと揶揄する表現を避け、厳密には肥満とは意味が異なるのですが「体重過多」を選びました。

 「体重過多」と説明したことに対し、女性たちは「わかりました」でも「違う」でもない戸惑ったような反応を見せたました。私は、この反応は体重過多だけでは説明が不足しているからだろうと思い、続けて「体が重すぎて足首に過剰な負担がかかっているから(治りが遅い)」旨のかみ砕いた説明を加えました。
さらに私なりの親切心で「体重を減らせば捻挫になりにくい」との説明を加え、社交辞令として「おだいじに」も加えました。
 私にとっては、聞かれたからー「知らざあ言って聞かせやしょう」と、弁天小僧のように見得こそ切りませんでしたがー答えた。さらに具体的な説明を加え、親切心からアドバイスも与えたし社交辞令も付足した。たったこれだけです。
女性たちからお礼の一つもなかったことは心外でしたが…。

 実はこの話には後日談があります。三日後に件(くだん)の女性二人とエレベーターで乗り合わせたとき、二人から、特に捻挫していた女性から、こちらが恐怖を感じるほど睨みつけられました。随分と不躾な態度だと感じ、ハーティ推進室に戻り桜坂さんに不躾に睨まれた旨の話をしたところ、桜坂さんから「体重過多」の条(くだり)の私の対応が原因だと教わりました。どうも「体重過多」はいけないようです。
結果として私は、「女性にはたとえ事実でも、そのまま伝えるは良くない」と、社会生活を円滑に送る手段を一つ新たに学習した次第です。
しかし、聞かれたから答えただけなのに、あれだけ、と言うよりその後何度もエレベーターや廊下ですれ違う度に彼女たちに何度も睨まれるとは、思いもよりませんでした。
そんな状況を未然回避するには?との疑問は、桜坂さんにはぶつけず飲み込みました。これも子供のころからの経験で身に付けた、身過ぎ世過ぎの手段です。
突然や続けざまに疑問をぶつけると、たいていの人は嫌がることを学習しています。爾後、エレベーターの中と似たような状況に直面した時は、黙ってやり過ごせばよいと、新しい対処法として頭に刻み込みました。
 
 ここまでお読みいただいた方には、私がなぜ「聞かれたから答えた」と受け止め、「体重過多」を口にしてしまった理由は見当がついていると思います。
牛乳を買う問や枕草子でも説明した通り、ASDは額面通り受け止めてしまうことが理由です。私にとっては「聞かれたから答えた」だけなのです。定型の人が求める、行間を読んだり言葉を補ったりで相手の気持ちや要望を想像するなんてできません。
 上に書いた説明を繰り返します。マルチタスクが苦手で相手の要求を正しく理解するだけで苦心惨憺、精いっぱいなのですから、「お・も・て・な・し」(行間を読んだり言葉を補ったりで相手の気持ちや要望を想像する)に回すエネルギーなんて残っちゃいません。そんなものに投入するリソース(エネルギー)が残っているのなら、もっと自分にとって有用なところに、そのリソースを使います。
事ほど斯様に、相手の言葉を額面通りに受け取る(理解する)ことだけで精いっぱいなんです。
 だからKY(空気が読めない)と言われることも仕方ないと思っています。
ひたすら経験値を増やし、こういう時はこうすると言う対応パターンを学習するしかないと思っています。

 最後に一つだけ本音を言わせてもください。捻挫した女子は、最初から「私をデブと呼ばないで」と書いたカードでも首から下げておいてもらえれば、私は何を聞かれても「体重過多」なんていう、彼女が怒ったり根に持ったりするような言葉を使うことはなかったと思います。

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