轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode10 Part-2

そう書いてあるから

 ここを読んでくださる方には釈迦に説法ですね。自閉症のひとが苦手な課題に「サリーとアン」があります。あらすじを書いておきます。

 
①サリーとアンの二人が部屋の中で遊んでいます。
②サリーは自分のビー玉をカゴの中に入れて部屋を出ます。
③サリーが出ていった後に、アンはカゴの中のビー玉を自分の箱にしまいます。
④サリーは部屋に戻りました。サリーはビー玉がどこにあると考えるでしょう?

  

 自閉症のひとは他人の気持ちが分からないので、アンの箱にあると考えると答えてしまうと言われています。正しい答えは、サリーはアンがビー玉を箱にしまったことを知らないのだから、ビー玉はカゴにあると考えるです。自閉症のひとはサリーの気持ちを想像できないから、アンの箱を探すと答えてしまうそうです。

 さて、私の場合はどうでしょう。ビー玉はカゴにあるとサリーが考えることは理屈では分かります。しかし、書かれている「ビー玉を箱にしまう」「ビー玉がどこにある」との、二つの文言に引っかかり、箱にあると考えるとの回答の方が気分的に落ち着きます。サリーの気持ちが想像できない云々とは全く関係なく、書かれている文言通り、ビー玉を箱にしまったのだからビー玉は箱にあると考えることが自然だと感じてしまうのです。

 なぜ箱が自然だと感じるのか、私には理由は分かりません。ただ書かれている文言に意識が向いてしまい、箱が自然だと感じるのです。ビー玉は箱にあると考える方がすっきりと気持良いのです。反対に、カゴを探すとの正しい答えには、何とも言えぬ坐りの悪さと、胸が悪くなるような不気味さを感じてしまうのです。

 轟さんのチャットの指示に戻りましょう。轟さんは単なる共有事項として発信しました。しかし私の頭の中では「直しました」、「が」、「○○を確認してください」の三つの文言に意識が向き、「直しました。しかし、○○を確認してください」のように指示されたと、自動的に変換されてしまったのです。三つの文言により自動的に変換されたのも、「サリーとアン」で箱にあると考えるほうが自然で落ち着くと感じるのも、同じ理由かもしれないと感じています。そう書いてあるから。ただこれだけが、自動変換と自然で落ち着く理由のような気がします。

アスペルガーの証明

 いろいろと私が轟さんの報告を誤解した理由を書いてきました。誤解する理由は、私なりに十分に納得できる内容です。気分的にも一段落つきました。一段落ついたところで、前出の『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?』の第三章「さまざまな症状とそれが生じる理由」のアスペルガーは他人の「曖昧」な指示を理解できないの続きを読んでみましょう。以下引用します。

 

ー引用ここからー

ちなみに、類推(まね)という作戦が(アスペルガー者には)使えない理由がもう一つあります。それは、「エピソード記憶」の障がいの結果という側面です。類推を行うためには、状況を手掛かりに過去のエピソード記憶を検索する必要があることがほとんどです。これができないタイプだと「前例に従う」ということすら上手にこなすことができません。―中略―
一般の場合にはお手本(前例)自体を記憶から検索して取り出す必要があります。お手本が見つからなければ、もちろん類推という方法は使えない事になるわけです。
 類推ができなければどうしたらいいでしょうか。知能の高いアスペルガー者は、しばしば無理やりに抽象概念を使って問題を解決しようとします。しかし、実は、ふつうの人はたんに類推を使っているのであり、抽象概念を使って問題を解決しているわけではありませんから、ふつうの人から見た場合には「どうしてこんな簡単なことに手間取って、難しい理屈を言っているのか、ワケがわからない」ということになります。反対にアスペルガー者のほうは、そもそもたんなる類推によって解決できることがわからないので、なんでとくに天才でもないふつうの人々が、楽々と問題を解決できてしまうのかわからず、呆然とすると言うことになります。

―引用終了―

カッコ内の文言は筆者追加

米田衆介『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?大人の発達障がいを考える』講談社より 

 

 いやはや恐ろしい説明が出てきました。ふつうの人から見た場合には「どうしてこんな簡単なことに手間取って、難しい理屈を言っているのか、ワケがわからない」んだそうです。
 とすると、私が接続詞だ、サリーとアンだ、ASDの頭の中だと書いてきたことは、ふつうの人から見たら、「どうして簡単なことに手間取って、難しい理屈を言っているのか、ワケがわからない」事だったのかもしれません。それに類推ができないアスペルガー者がしばしば行う、無理やりに抽象概念を使って問題を解決しようとする行為を、そのままやってしまったようです。
 ちょっとがっかりです。あれこれ調べて思案して自分なりに納得して、おまけに轟さんが迂闊に単純接続とも否定ともとれる接続助詞の「が」を使うからいけないんだぞー!と明日伝えようと思いますなんて鼻息を荒くしていたのに、結果的には、自分で自分の重度アスペルガーを立証してしまっただけのようです。

 気を落としても仕方がないので、最後に、アスペルガーが誤解しない指示を書いて、このエッセイを終わらせましょう。

 必ず箇条書きで

 
  ①情報共有です
  ②〇月〇日〇時〇分ころ、外部の人からホームページについてご指摘が
   ありました。内容は以下のとおり。
     指摘内容を記載する
  ③すでに私(轟)の方で修正してあるので、対応は無用です。
  ④外部からのご指摘の前に、社内で不具合の発見と訂正の必要があるので、
   対策会議を開催します。対策会議の日時は別途通知します。以上

 

 こんな指示だったら、誤解のしようもありません。

 しかしまあ、物心ついてからの人生を振り返ると、今回のように自分が納得するまで調べたことは枚挙に暇がないほどあります。調べている間、調べている私自身は楽しくて仕方ないのです。しかし、調べる作業を中断されたり横やりを入れられたりした時に、強烈な反発をしたことも同じく枚挙に暇がありません。
親や教師、就職してからの上司は手を焼いたことでしょう。少し反省です。
 以上、曖昧な指示は分からない理由を縷々書き綴りました。続くepisode11もASD自閉症の頭の中について考察を続けます。

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