轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode11 Part-2

ペンの進みが遅くなった理由とASD特性の関係の考察-1

  
 part-1では、ASDの周辺的特性を最初に取り上げた理由と、轟さんの表情から感情を読んだ理由を書いただけで予定の文字数オーバーになってしまいました。
振り返ってpart-1を読んでみると、実にくどくどと話し手の表情が読めた理由を書いています。どうしてこのように一つのことにこだわってしてしまうのか、episode11で取り上げたASDの特性のひとつシングルフォーカス特性の説明と併せて考察していきましょう。さらに、書けなくなった理由とASDの特性に何か関りがあるのかも考察していこうと考えています。
 
 さて、episode11で取り上げているASDの特性であるシングルフォーカス特性とはどのようなものなのか、私の思い込みや拙い説明では誤解を招くおそれがあるので、このエッセイで何度もお世話になっている「明神下診療所の米田修介先生の名著『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?大人の発達障がいを考える』」からシングルフォーカスの説明を引用します。
 
<引用開始>

 情報処理過剰選択仮説とは、脳の中で問題解決のために行われる並列的な複数の処理の流れの間で、「特定の処理のみが優先されて、他の処理が抑制されてしまう」という偏りがアスペルガー障がいの本質なのではないか、と考える仮説です。もっと簡単に言うと、要するに「いろいろな側面から認識できることを、一面からしか見たり感じたり覚えたりできないところに本質的な問題があるのでは?」という理解の仕方です。<中略>この情報処理過剰選択仮説にもとづくと、すべてのアスペルガー者に共通の「中核的特性」は、次の三種類にまとめられます。<中略>
 
・シングルフォーカス特性………注意、興味、関心を向けられる対象が一度に一つと限られていること
・シングルレイヤー思考特性……同時的・重層的な思考が苦手、あるいはできないこと
・ハイコントラスト知覚特性……「白か黒か」のような極端な感じ方や考え方をすること
 
 これら三種類の特性は、すべてのアスペルガー者に共通して認められるものです。これらは重なり合いながらも、かなりの場合は区別可能ですので、特性を詳細に検討するためには分けて考えた方が理解しやすいと思われます。
 

<同書第二章アスペルガー障がいの本質から引用終了(太字への変換と障害を障がいへの変更は筆者)>
 

 私の手元には、精神科医・医学博士の本田秀夫先生の著書「あなたの隣の発達障がい(障害を障がいに変更)」もあります。この本の第一章には、ASDの特性は「融通が利かなくて困る」こととあります。一部引用します。
 

 ASDは、ひと言でいうと「融通が利かなくて困る」タイプです。対人関係で臨機応変な対応をとることが苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いという特性があります。
 
<中略>
「自分のペースで物事を進めたい」という欲求が強いASDの人にとって、急な予定変更はなかなか受け入れられることではありません。何かにこだわりやすいと言う特性は、予定を立てたら、そのとおりになってほしい、という気持ちが強いことを意味しています。
 
<中略>
 定型発達(発達障がいではない人)の人であっても<略>予定にゆとりがあるときは、多少変更があっても「まあ、そういうこともあるよね」と許容できます。また、それなりに人生経験を積んでくると、「たまにはハプニングがあるものだ」という知識を得ます。これはASDの人も同じで、成長とともにハプニングに対する耐性を持つことができるのです。
 
 しかし、切羽詰まっているときに予定外のものが入ってくると、大混乱に陥ってしまうことがあります。ASDのひとは、基本的には「シングルフォーカス(一つのことにしか焦点を当てられない)、シングルタスク(一つのことにしか集中できない)」です。
 定型発達の人と同じように複数の事項を同時に考えることはできないため、ときに「わーっ」となってしまうのです。
 

<引用終了 本田秀夫著 あなたの隣の発達障がい 第一章より (障害を障がいに変更および改行、太字は筆者)>
 
 本田先生は平易な言葉で伝えてくれるので分かりやすいですねえ。                          
 そのかわり表現はすごい。ASDは自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強くて、シングルフォーカスでシングルタスクなので、ときに「わーっ」となってしまうそうです。
 
 米田先生と本田先生のシングルフォーカスの説明から、私が轟さんの言葉でこのエッセイの続きが書けなくなってしまった理由が解明できそうです。                       
まず、理由として考えられそうな本田先生のおっしゃる「わーっ」が、私には気になります。
 このエッセイを読んでくださる方は、知的障がいや発達障がいのある方の支援に携わっていたりする方々が多いでしょうから、「わーっ」とは何かを具体的に想像できると思います。
 
 それでは、読者の方が想像するであろう「わーっ」を、私の方で思いつくまま挙げてみましょう、例えば、
  ①頭が真っ白になる、パニックになる、固まる
  ②意識や感情のメルトダウン、泣きわめく、その場から逃げ出す
  ③物にあたる(これもパニックに含まれるかな?)
  ④自傷や他傷行為
などでしょうか。ほとんどの方が上にあげた①~④を想像するのではないかと思います。
 
 さて、マンガの中での私は、轟さんのタヌキ顔の原因にシングルフォーカスします。轟さんが口籠るのにも一切構わずにテレビドラマの刑事の尋問よろしく———刑事さんの名誉のために付け加えます。現場の刑事さんは机を叩くこともなく穏やかに取り調べを行うそうです———轟さんを問い詰め、タヌキ顔の原因がわかるとシングルフォーカスが解消され一気に白け「なんだつまらん」と、クルッと踵(キビス)を返して自席につきます。
 
 では、シングルフォーカスが解消できない場合はどうなったでしょうか。
本田先生のおっしゃるように、轟さんのタヌキ顔の原因を究明という自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向で、シングルフォーカスが発動し原因究明に焦点を当て、同時に発動するシングルタスクで轟さんの事情を斟酌せず一点集中で問い詰めても原因が究明できなかったとしたら私は「わーっ」となってしまったでしょうか。
 
 その回答は否です。
確信をもって「わーっ」は起りえない、と言いたいなあ‥‥。
私が子どもだったら、或いは社会生活の経験の少ない高校生くらいまででしたら、記憶にはあまりありませんが、本能的志向が解消できないと先にあげた①~④のような「わーっ」を起したかもしれません。
 一言加えると、私の場合は④の自傷や他傷は全く記憶にありません。せいぜい親や兄弟、同級生に理不尽に当たり散らす———これも相手からしたらずいぶんと迷惑な行為だったろうと反省します———程度です。
 
 ある程度の社会生活を経験した現在では、これも本田先生のおっしゃるように、「ASDの人も成長とともにハプニングに対する耐性を持つことができる」ので、目に見えるような「わーっ」は起こしていないでしょう。
しかし悲しいかな、私が起こしていないと信じているだけで、周りの人たちには薄々感じ採られているかもしれません。
このあたり、あまり自信はありません。自分の行動を客観視できない特性もASDにはあるので、内心忸怩たる思いがあふれるほどあります。
 
 そうすると、本能的志向で発動したシングルフォーカスもシングルタスクも解消されていないときは、本能的志向で発動したこれら未解消のASDの特性はどこに行ったのでしょうか。
 
 
 ここまで書いてきたところで、
 『英太郎よ、マンガの中でお前に発動した本能的志向はタヌキ顔の原因究明だけであり、切羽詰まっていなかったから「わーっ」を起しようがなかったのだろう。
すでに結論は出ているではないか。
 仮に起したとしても、タヌキ顔が原因のごく小さな「わーっ」であろうから、社会生活の経験のうえで獲得した耐性(自制心)で容易に抑え込むことができたのではないか。
 本題のペンの進みが遅くなった理由とASD特性との関係の考察はどこに行ったのだ、いつまでも御託を並べるつもりだ。』と、読者諸賢からお叱りの言葉をいただきそうな気配は、part1に引き続き如何な重度のASDの私でも感じています。
 
 ついに文字数も3,000を超えてしまいました。
新聞の記事の文字数は、聞くところによると2,500が目安であるそうです。それ以上の文字数になると、記事ではなく意見や論文に近くなり、読者が気楽に流し読みできなくなるからだそうです。
 以前から轟さんにエッセイが長すぎる文字数が多すぎると言われています。
このまま書き続けると更に各方面からいろいろ非難を受けてしまうでしょう。
私としては不本意の極みですが、ペンの進みが遅くなった理由とASD特性との関係の考察はpart-3で簡潔に分かりやすく進めようと決意を新たにして、part-2を終えます。

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