轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode12 幸先不安な健康診断 Part-3 (中)

<健康診断、これがイヤだ>

 
 思いつくまま、べき論で制御可能な健康診断の検査項目と検査内容以外の、私に起こる「自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向特性」を否定する、コントロール不能の例をあげてみましょう。

 

 大切なことをお伝えすることを失念していました。私は発達障がいの他に国指定の難病を患っています。3か月ほどの都立病院で入院加療ののち、現在は投薬治療で体調を維持できているので仕事を続けています。
 私にとって、自閉世界以外で(自閉世界についてはepisode11参照してください)唯一心穏やかに安心して過ごせる時間は、この都立病院とその隣の調剤薬局にいる時です。
 病院が心許せる場になっているのですから、前述の病院フォビアの可能性は少ないと考えています。

 

 健康診断には、前の晩から当日の朝まで食事や水分摂取の制限があります。これらは、私のいつも通りの安心できる生活リズムを容赦なく崩します。
 食事や水分摂取の制限は、私の場合は生活リズムが乱れるだけではなく、服薬の管理も乱れてしまい、その影響を恐れています。国に難病指定されている病気を患っている私個人の事情も大きいことは十分承知しています。
しかし、生活リズムを乱されることはイヤです。

 

 健康診断当日の朝の、いつもの生活習慣と違う検体採取や食事や水分摂取の制限に加えて、服薬の管理と生活リズムが乱れることへの嫌悪感と恐怖から、私は前の晩も当日の朝も、いつも通りの生活リズムで睡眠や食事をとり、食後の服薬もいつも通りで過ごします。
 健康診断当日の朝の朝食ヌキなんて知ったことではありません。
 私にとっては、信頼する都立病院の主治医が指示した定時の食後服薬が第一であり、それらの手順を乱されることによる病気の増悪《ぞうあく》に対する恐怖があります。増悪の原因になる生活リズムの変化について怒りを覚え、とにかくイヤなのです。

 

 一度だけ朝食と服薬のことを健康診断を行う病院に報告したところ、なんだか甚 《いた》く痛罵され検査が後回しになり、待ち時間の見通しも立たずで、結局途中で抜け出したことがあります。
 病院の検査技師の方は、自身の担当する検査のための必要事項を実施しなかったことを注意しただけだ、痛罵なんてしたつもりはないと言うでしょうねえ。
 でも、ASDだって声の大きさや調子で怒気を含んでいるくらいわかりますよ。

 

 これまで書いたイヤには、国指定難病の投薬治療の乱れに対する恐怖が含まれているので、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという「本能的志向特性」を否定する、コントロール不能100%の例にはならないと読者諸賢は感じると思います。少し割り引いて判断いただいてもかまいません。

 

 健康診断を行う病院までの経路が普段の通勤経路と違います。ネットの乗り換えサイトで調べておいても、実際は異なります。使う駅も電車も車両もいつもと違います。
 よって、空気も臭いも音も照明も違います。駅や通路を歩く人波も色合いも違います。もちろん時間帯も違います。これらの自分でコントロールできない環境の変化は苦痛と不安以外の何物でもありません。みんなみんなイヤなのです。

 

 何とか病院までたどり着いたとします。難病指定の病気を患っているので都立病院に何年も通っています。通ううちに病院に対する建物や施設の雰囲気(空気も臭いも音も照明も含みます)が影響し、私の中でいつの間にか病院とはこうあるべきとべき論が出来上がっていました。その私の「病院のべき論」にいくら幅を持たせても、どう見直しても当てはめることのできない病院はイヤなのです。病院のあるビルの前で踵《きびす》を返します。

 

 踵を返さず病院の受付まで来たとします。受付までのエレベーターについても感じることは数多《あまた》あります。詳細に過ぎるので割愛します。
 受付や待合室の空気(以下略)醸し出す雰囲気が私の病院のべき論の範囲か否か見回して確認します。なにしろ範疇外のときは拷問に近い時間を過ごさなければなりませんから。
 見回して感覚過敏を刺激する光や音や臭いがあったら、すぐにでもその場から立ち去りたい意識が頭の中で鎌首をもたげます。(轟さんがマンガの中で感覚過敏を説明しています。詳しくは稿を改めて解説します。)

 

 どうやら感覚過敏の刺激は私の「病院のべき論」の範囲で耐えられる範囲であったとします。すると今度は周りが気になります。

 

 私には、周りの人は同じ目的で蝟集しているだけであって、遠慮も慎みもなく我先にと受付に(ソ連のラーゲリの食糧配給のように)並んでいるように感じます。
初詣での開門を待つ人の集まりにあるような、明るい表情や浮かれた声などなく、受付を待つ人の群れはみな無言です。その中に誰一人知った人はいません。
人の数にも圧倒されます。こんな心細い不安な状況に一人で置かれることはイヤなのです。

 検査担当の看護師さんや技師の方々は、受診者の緊張や先の見えない待ち時間についてのイライラを解《ほぐ》そうと努力していることは分かります。
 でも、お客様扱いしても上滑りして、問診のドクターは高圧的か全くの事務的です。
 普段世話になっている都立病院に通ううちに、いつの間に出来ていた病院のスタッフのべき論とは個々の方向まで違っています。
 これは悲しくなる程イヤなのです。

 

 実際に健康診断が始まってからの待ち時間は、特に先が見通せず強い不安を覚えます。周りが知らない人ばかりの初めての場所に一人ぽつんと置かれる。音も空気も色も臭いも光も違う、こんな状況に支援者もなく自閉症者が突然ひとり置かれたら、彼、彼女はどんな反応を見せるでしょうか。
 どんな反応を見せるか、私は敢えて書きません。読者諸賢は障がい者の支援にかかわる人が多いでしょうから、具体的な彼、彼女の反応が目に浮かぶと思います。

 

 私はEpisode11 PART-3の終わりに自閉世界に籠ることが一番安心できる、外の世界、娑婆(現実世界)はイヤだと書きました。

 

 自閉世界に対する外の世界を娑婆とするのではあんまりなので、今回からはリアルワールド現実世界と記すこととします。

 

 周りが知らない人ばかりで音も空気も色も臭いも光も違う初めての場所に一人ぽつんと置かれ、先が見通せず強い不安を覚えています。
 こんな状況におかれたなら、自閉世界に籠り外界の刺激を遮断することで私のようなASD者は安心できます。しかし健康診断です、いつ自分の名前を呼ばれるか分かりません。自閉世界に籠っていたら名前を呼ばれても気が付つかない恐れがあります。
 こうなると、否《いや》が応《おう》にも有無を言わさず強い不安を覚えている現実世界に意識を置かなければなりません。

 
 健康診断で一番イヤなことは、安寧安穏な自閉世界に逃れることができず、常に現実世界、それも普段と異なる外界刺激ばかりの現実世界に意識を置かなければならないことなのです。

 

続きはPARTー3(下)にて

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