英太郎のひとりごと episode13 Part-1
〈英さんの恋愛?本題にはいるまえの長い言い訳〉
こんにちは、英太郎です。
第13話のタイトルは「英さんの恋愛」です。
何とも気恥ずかしいタイトルですねえ。以前にもここに書いたように、マンガのシナリオを作っているのは私です。実は、マンガのシナリオを作るときは一話ごとのタイトルなんて、全く考えていませんでした。単にepisode1、episode2というようにしていただけです。
そのように作っていたマンガは、いつしか会社の方針でインターネット上の「ハーティサロン」で公開することになりました。公開にあたり、数字だけではわかりにくいだろうということになったそうでepisodeごとに作ったタイトル案が私のところに届きました。
たまたまその際に他の仕事も抱えていて忙しかった———落ち着いて振り返れば、その際に抱えていた仕事にシングルフォーカスしていて、マンガのタイトルまで気が回らなかっただけです———ことに加え、轟さんの「これでいいですよね。」の、半ば急かされるような一言に流されてしまい、episodeごとのタイトル案をじっくり吟味せず「特段の問題なし」と回答していました。
いざ「ハーティサロン」で公開するにあたり、気付いたらこの気恥ずかしいタイトル「英さんの恋愛」が一人歩きしていた次第です。
私はepisode13で自身の恋愛経験を伝える意図は毛頭ありませんし、読者諸賢も何事についても不器用なアスペルガー(以下、ASDと書く)の体験談や、おそらくふつうの人と随分と異なるであろう恋愛談議にはまったく興味を抱くことはないだろうと思います。
元々の予定は、episode11でシングルフォーカス特性、episode12でシングルレイヤー思考特性と、ASD者に共通の三つの「中核的特性」のうち二つを紹介し、続くepisode13では残る中核的特性のハイコントラスト知覚特性を紹介でしたから、私の方には、端《はな》から恋愛云々に拘泥《こうでい》も執着《しゅうぢゃく》もあるはずもありませんでした。
ハイコントラスト知覚特性とは何か、読者諸賢は既にご存じのことと思います。
しかし、ハイコントラスト知覚特性をよりご理解いただくためには、ここでハイコントラスト知覚特性について定義を明確にしておく必要があると思います。
ただし、私の拙い説明では後々《のちのち》読者諸賢に誤解を招く恐れがあるので、念のためこのエッセイで何度もお世話になっている「明神下診療所の米田修介先生の名著『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?大人の発達障がいを考える』」からハイコントラスト知覚特性の説明を引用します。
〈引用開始〉
物事を「白か黒か」で把握するような知覚ないし認識のあり方を、ハイコントラスト知覚と呼びます。ハイコントラストの意味は、ある境目となる入力の大きさの範囲で、それよりも少しでも入力が大きければ最大値に振り切れてしまうような感覚特性のことです。当然、少しでも小さければ、最小値に振り切れるという場合も同じことです。
このような境目の値のことを「しきい値」と呼びます。要するに「白か黒か」「0か1か」「あるかないか」のような、両極端しかない捉え方をする、ということです。
ハイコントラストな基準が適用されると。思考は自然と明晰になります。その明晰さは、正確性や論理性につながることがあります。アスペルガー者の場合に時々見られる、非常に形式的で論理的な問題解決スタイルは、このようなハイコントラストな思考の傾向と関係しています。
<引用終了:同書76ページから77ページを引用。障害を障がいに変更ならびに改行は筆者>
説明の後半、正確性や論理性につながるの件《くだり》は、なんだかこそばゆい感じですねえ。しかし、ハイコントラスト知覚特性には良いことばかりではありません。米田先生の説明の続きにも生きづらくなる例がいくつも掲載されています
このように良いも悪いもあるハイコントラスト知覚特性をマンガで採りあげるにあたり、自身の経験を振り返り頭の中の記憶保管庫を検索したところ、ハイコントラスト知覚特性が発動した事象(事件かな?)は枚挙に暇がないほどありました。
ただし、それらをそのまま書いただけでは、米田先生の説明にあるように「0か1か」で考えるへんなやつと、読者諸賢には呆れられるか、あるいは行動の規範が人としておかしいのではと疑問を持たれるだろうと感じました。(ASDでもこの程度の想像はできます)。さすがにこれはいかんと暫く呆然としました。
更に保管庫を検索しても、米田先生の説明の後半にあるような、こそばゆくなるような経験 ——— 要するにハイコントラスト知覚の成功体験です ——— はなかなか見つかりません。失敗体験は枚挙に暇がありません。
具体的には、学生時代までは「世の中は理屈だけじゃ動かない」、社会人になってからは「社員にも感情があるから一刀両断に割り切れるものじゃない」などと、形式的で論理的な問題解決の手段の意見具申を否定された数多くの経験です。
これらはグループや組織に自分が属しているときの失敗体験です。
では個人的な問題の場合はどうか。一対一の関係や場面———ほとんどが母親と私、先生と私(夏目漱石みたいだな)、友人と私など———で形式的で論理的な問題解決の手段を実行し、自分自身がスッキリした成功体験はいくつもあります。
しかし、個人的な問題と雖も≪いえども≫相手はいます。自分自身はスッキリ解決と思っていても、相手はどう感じているか、正直、不安はあります。
私が言い負かしたのか、相手が諦めたのか。こうして書きながらそれら場面を思い返すとなんだか悲しくなります。しかし相手の気持ちは分かりません。
そこで読者諸賢に呆れられず、かつ興味を持っていただける題材として、所謂《いわゆる》青春時代に着目しました。どんなASDにも必ず訪れる青春時代の“ASDらしい言動”(おかしな表現ですねえ)を散りばめれば、ふつうの人にとっても経験がある、または進行中の、随分と身近な出来事ですから、読者諸君のハイコントラスト知覚特性についての理解が容易に進むであろうと考え、自身の青春時代の思い出を取り入れてepisode13のシナリオを作りました。
〈ASDの障がいの本質〉
ここまで書いてきたことを読み返すと、なんとも言い訳がましい内容ですねえ。ハイコントラストの説明を分かりやすくするために青春時代を採り上げただけだと、必死にタイトルを「恋愛」としたのは自分ではないと言い張っています。
さて、episode13ではASDのハイコントラスト知覚特性だけではなく、いろいろな“ASDらしい言動”を採りあげています。
それらマンガにある“ASDらしい言動”が引き起こす問題は、多分にふつうの人と感じ方や受け止め方の違いが原因となる対人関係上の問題です。
マンガをお読みいただいた読者諸賢の中には、ASD側(つまり私の言動)にもう少し「相手の気持ちを思いやる意識」や「まごころ」があれば問題にならなかっただろうと感じる方も多くいらっしゃると思います。
なぜ対人関係で問題を起こしてしまうのか、米田先生の『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?大人の発達障がいを考える』にとても分かりやすい説明があったので引用します。
〈引用開始〉
私たちの脳は、話の内容を要約し、相手の文脈を捕捉し、不完全な情報を補完し、自分のアクションに対する相手の感情的反応を予測し、当面の目的に対して最善の手段を選択して実行する、という、複雑な作業を自動的にしています。私たちの脳は、実際にそうしたことを絶え間なく実行し続けています。今これを読んでいる瞬間にも、です。
その処理に必要な無数の細かい無意識作業のうちの一つが、ちょっと変な具合になっていただけで、とんでもなく奇妙な結論が出てしまうかもしれません。それが、アスペルガー者の脳で起きていることだとしたら?と想像してみてください。
<引用終了:同書32ページから引用。障害を障がいに変更>
私の脳でも(自虐的ですが)この無意識作業がちょっと変な具合よりだいぶ変な具合になっているのではないか、具合が悪いのは一つではなく、脳のいろいろな分野にいくつもあるのではないかと想像できます。
私のくだくだしい感想や説明は些末《さまつ》なこととして脇に置き、①ASDは脳の情報処理の問題が原因で、社会的コミュニケーションや対人的相互反応に障がいがあり(他には興味や活動の偏りもあります)生きづらくなる②脳の情報処理の問題の原因にはASDの中核的特性のシングルフォーカス、シングルレイヤー、ハイコントラストがあるということだと読者諸賢はご理解願います。
さて、紙幅も迫ってきました。上に書いた脳の情報処理がASDはふつうの人とは違うということを大前提として、Part-2では、私がやらかした出来事とそのときの私の頭の中の動き、ひと言でいえば、脳の情報処理過程にASDの三つの中核的特性のうちハイコントラストがどのように影響を及ぼしたかを中心に説明して、読者諸賢にASDをさらにご理解いただくための方策の一助としたいと思います。
以下Part-2に続きます。