英太郎のひとりごと episode14 Part-1
〈Part-1 謝罪と憮然《ぶぜん》・呆然・茫然《ぼうぜん》・唖然《あぜん》・悄然《しょうぜん》・黯然《あんぜん》・愕然《がくぜん》・慄然《りつぜん》〉
こんにちは、英太郎です。
episode14も前回(episode13のpart2)と同様に、甚だ《はなはだ》難解で面妖奇天烈なタイトルで始めることになってしまいました。
謎かけのようなタイトルを投げかけて自分の知識をひけらかし、読者諸賢が理解に苦しむ様子を想像してほくそ笑み一人悦に入るなんていう、底意地の悪い品性下劣な卑しい趣味は私にはありません。
底意地の悪い品性下劣な卑しい趣味がないからと言って、私は自分が高潔だと言い張る気はありませんし、有体《ありてい》に言えば「自分が知っている知識を披露することは嫌いではありません。
しかし、過去に知識を披露した———決してひけらかしたつもりはありません———ことに起因していると考えられる排除や拒絶を受けた経験がイヤになるほどあるにもかかわらず、それらの経験から何一つ学ばず、難解な熟語を並べて喜んでいる自分が頭の中のどこかにいることも承知しています。
上に「ほくそ笑み一人悦に入るなんていう、底意地の悪い品性下劣な卑しい趣味はない」と書いておきながら、全く舌の根も乾かぬうちにこの調子ですから、これらがタイトルに作りに影を落としたことは否定しません(実にイヤなやつだ)。
〈熟語ばかりのタイトル〉
タイトルの謝罪の意味は取り立てて説明する必要はないですね。しかし、謝罪を一番前に置いた理由は追って説明いたします。
憮然から始まる八つの熟語は、ひとがある特別な状況に置かれたときに表出する態度を表した熟語です。中には黯然《あんぜん》なんていう、普段あまり目にしない熟語もあります。
辞書を確認したら、黯然は暗然と書いても良いようです。そうすると意味はおのずと解りますね。
マンガを先にご覧になった方は、タイトルの憮然から連なる熟語は、マンガの中で私がとった言動に対する相手側の反応を表したものではないかとお気づきになっているのではないかと思います。
ご明察のとおり、憮然から連なる熟語は私の言動に対する相手側の反応を表しています。しかしながら、私にはどの熟語がどの場面の相手側の反応と一致するかは明言できません。
もともと人に興味のないASDの私の経験に依拠して作ったマンガですから、相手の反応についての私の記憶が正しいとは限りませんし、私が気付いていない反応もあるでしょう。また、私の言動が同じであっても、相手の立場や年齢、状況等によって反応は違ってくるかもしれません。
読者諸賢が賢慮の上で、私の言動と相手の反応とを表すにふさわしい熟語を選んでいただき私にお伝えいただければ、私のコミュニケーション能力や経験値もあがるのになあと、非常に甘い考えも持っています。
熟語と相手の態度を一致させることは私には不可能に近いのですけれども、マンガの内容は全くの事実、私の過去の言動を寄せ集めた実話です。こんな事由もあってマンガのタイトルは「英さんの過去」となった次第です。
漫画家さんに作画をお願いするとき、私の言動に対する受け手側の表情について、私からは特段の指定はしていません。特段の指定ができない理由は上に書いたとおりです。私の拙いシナリオをもとに漫画家さんが想像力を発揮していろいろな受け手の表情を描きわけてくれたので、状況が判り易くなっていると思います(漫画家さんに感謝)。特に同僚の一丸《いちまる》さんが、百面相のごとくいろいろな表情を見せてくれていますね。
どの場面の表情がどの熟語と一致するか決められないと上には書きました。しかし、次の一丸さんの表情は「啞然」が衆目の一致するところですよね。
ASDを解説する本によく書かれているように、ASDはとにかく知識は豊富です。分野によってはかなりマニアックな範囲にまで及んでいることは確かです。
読者諸賢が想像するとおり、御多分に洩れず、私も同じく知識は豊富なほうだと思います。
ただし、その豊富な知識が偏頗《へんぱ》で仕事や学業に関連しない分野ばかりだったり、関連した範囲であっても体系的に整理されていなかったりで仕事や学業に活かせず、周りからは「理屈ばかりで使えないヤツ」と判断されてしまうことも、経験上多々あります。
おそらく読者諸賢からは、たかがタイトルの説明だけで滔々と自説を一方的に展開する私は、知識と理屈ばかりで「使えないヤツ」と思われているでしょうねえ(だとしたらイヤだなあ)。
医師やカウンセラーではないので判断は控えますけれども、ASDの積極奇異の発動かもしれませんから、大目に見ていただけると少し心穏やかに過ごせます。
〈ジャーナリストS氏の虚心坦懐な謝罪〉
さて、閑話休題(それはさておき)、本題のタイトルの説明とepisode14「英さんの過去」の説明を始めましょう。先ずは「謝罪」からです。
何故いきなり謝罪なのか。それは私が普段視聴しているYouTubeの番組がきっかけでした。
そのYouTubeの番組とは、昨年(2021年)の衆議院選挙の開票速報の番組で、テレビの開票速報よりも視聴者の数が多かった、自称「取材するユーチューバー」のジャーナリストのS氏が出演する番組です。
その番組でS氏は、いつものように「取材するユーチューバー」と名乗らず「謝罪するユーチューバー」と名乗ったのです。
自分の聞き間違えかと思い、訝しい思いで画面を注視しました。なんと以前の番組で、ある特定の言葉の使い方や意味を間違えていたことを視聴者から指摘されたので、「謝罪と訂正をしたい」と、番組の冒頭で、S氏のやや太めの体が小さく見えるほど恐縮し平身低頭しているではありませんか。
S氏が指摘された特定の言葉とは「閑話休題」でした。
思わずドキっとしました。私は2021年12月10日に公開したepisode12幸先不安な健康診断Part-3に、「閑話休題、これもべき論です。」として、ASDにとってアジェンダが明確でない会議はお手上げだと、本題と直接かかわりのない論考を記述していたのです。
取材するユーチューバーのジャーナリストS氏は、①余談ですが‥②ついでに(ちなみに)‥の意味で、「閑話休題」を本題とは直接関連のない話題を差し込む際に使ってしまいました。しかしこれは誤用です。閑話休題の正しい意味は、「余談や関連の話題から、それはさておき本題に戻しましょう」です。
誠に申し訳ありませんでした、謝罪して訂正いたしますと、上にも書いたように番組の冒頭で虚心坦懐に頭を下げてから、その日の主題へと番組を進めていきました。
いやはや、やってしまいました。
私も取材するユーチューバーのジャーナリストS氏の謝罪を目にするまで、閑話休題とは①余談ですが‥②ついでに(ちなみに)‥の意味で使っていました。恥ずかしい限りで慙愧に耐えません(ちょっと大げさですね)。
新しい言葉を目にすると必ず辞書で意味を確認することを幼少時から習慣化していたのに、振り返ると閑話休題を辞書で引いた記憶は、この番組を視聴する以前の私にはありません。
私が初めて閑話休題を目にしたのは中学のとき読んだマンガ———マンガのタイトルや作者名なども鮮明に記憶していますが、差し障りがあるので伏せます———でした。その漫画では本題とは関係ないけれどもこんな逸話があるとの意味で、閑話休題に態々《わざわざ》「それはさておき」とふりがなをつけて大文字太字で記載して、別の逸話を差し込んでいました。
中学生の私は初めて目にした閑話休題を、そのマンガで使っている通りの意味で頭に記録してしまったのです。おそらく、そのマンガの作者も出版社も編集者も、閑話休題を誤用していることに気が付ついていなかったのでしょう(ひどいなあ)。
一種の活字信仰だったのだと思います。私は、たとえマンガであっても出版物にあるのだから正しいと思い込んでいたのです(まだ素直でしたねえ)。
さて、長い言い訳はここまでにします。
私、英太郎は、閑話休題の正しい意味を衝撃的に理解させられたことにより、episode12 Part-3の「閑話休題、これもべき論です。」を「余談ですが‥これもべき論です。」に訂正し謝罪いたします。申し訳ありませんでした。
以後、同様の誤用のないよう事前の準備や調査をおさおさ怠りなく行うとして、再発防止策といたします。ご了承いただけますようお願い申し上げます。
ただし、訂正と謝罪のみで賠償はありません。私の方こそ出版社に謝罪と賠償を求めたい気分です(これはジョークです)。
〈英 太郎のひとり言〉
はてさて、なんとかタイトルに謝罪を採りあげた説明が終わりました。これ以降に書くのは私の全くのひとり言です。読者諸賢は読み飛ばしていただいても構いません。
私の謝罪文を読んだ方のなかには、謝罪文がぶっきらぼうで敬意にかけているのではないかと感じる方がいらっしゃると思います。
それはおそらく「訂正し謝罪させていただきます」と「再発防止策とさせていただきます」と「させていただく」を使っていないところではないかと思います。
私は基本的に「させていただく」を使いません。というよりも「させていただく」の使用を蛇蝎《だかつ》のごとく、かつ、目や耳にするたびに虫唾が走るほど嫌悪しています。
させていただくの「させる」は使役の動詞です。誰かに何かの言動をするよう指示する言葉です。
使役の動詞ですから、自らの謝罪に使役の動詞「させる」を使うことについて、私は謝罪すること自体を誰かから指示されているような不自然さと違和感を強く覚えます。
「させていただく」は敬語に分類されていると思います(私が調べた範囲ではどうにも判然としません)。敬語だとしたら、尊敬でも丁寧でも謙譲でも敬語を使う相手がいるはずです。
「させていただく」には使役の動詞が含まれているので、誰に向かっての敬語なのか分からずイライラします。
これが、私が「させていただく」を使わない理由です。おそらくASDのこだわりでしょう。こんなところにもこだわりは現れると読者諸賢はご理解していただけるとありがたいです。
閑話休題の②の意味にある「ちなみに」についても、私にはASDのこだわりの一家言があるのですけれども、長くなるのと場違いなので発言は控えます。
以下Part-2に続きます。