轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode15 Part-1 SSTとは

〈Part-1 「癪《しゃく》を押せとは過言なり 身共《みども》武士」〉

 

 こんにちは、英太郎です。episode15のタイトルは「SSTとは」です。
SSTについての説明は、読者諸賢には釈迦に説法———おやっ?釈迦に説法はこのエッセイで過去に何度か使っている表現でしたね、プライドに係わります、表現を変えましょう。———今更ながらのSSTの説明は、読者諸賢には「猿に木登り、河童に水練」であることは疑いの余地がないと承知しているので、説明は省きます。

 

 あれっ?態々《わざわざ》時間を割いて拙文を読んでくださる読者諸賢に対しての「疑いの余地がない」とは随分と礼に欠けた表現ですねえ。「猿に木登り、河童に水練であることは承知しているので」と言い換えましょう。申し訳ありません。

 

 続いて、上に「(SSTの)説明は省きます。」と書いておきながらも「委細承知が当然、無知は罪、よって説明不要」と勝ち誇るように言い放つのは、意図せずとも周りを見下すような不遜で尊大な態度をとりがちなASD特性がほの見えるような———丸見えですね———気がしてきました。

 

 自分の書いた文を読み返すと、もしかしたら読者諸賢の中にいらっしゃるかもしれない多少知識に不安を覚える方を、「お前が悪い」とばかりに木で鼻を括った《くくった》ように切り捨ててしまっています。
 これでは、周りの状況を見ずルール厳守が国是とばかりに仁王立ちする、いかにもなASD気質が、やはりほの見えるではなくムキ出しなので、マンガにある桜坂さんのSSTの説明を転載しておきましょう。

 

 桜坂「ソーシャルスキルっていうのは、多くの人が社会生活や対人関係の中で
    良い関係を築くために身に着けていく適切な言動のこと。」
   「そのソーシャルスキルが身に着けられず、対人関係にストレスを抱えて
    いる人に対してトレーニングするのがSSTなの。」

 

 

 さすがにジョブコーチでソーシャルワーカーの精神保健福祉士資格を持つ桜坂さんです。分かりやすい平易な表現でSSTとは何かを説明しています。
 それではSSTについての共通理解ができたとして、私とSSTの関わりについて思う所を書いていこうと思います。

 

 英 太郎のひとりごとですから、これから書くことは私個人の感じ方です、すべての自閉症ASDの人がSSTについて同じように感じていることはないこと、そして「それって、ちょっと‥?」と読者諸賢がお感じになる内容もあるでしょう。
 その場合は、読者諸賢は、あくまで参考意見の一つとしてとらえていただければ、私も安心して書き進められます。

 

〈よくわからない法則〉

  マンガの中で私は「普段、相手の都合にかまわず、自分の聞きたいことを単刀直入にずけずけと聞いてしまう傾向があるようで‥。」と口に上せ《のぼせ》ています。

 
 自閉症の特性のひとつにコミュニケーションの障がいがあります。
 ふつうの人は、ミュニケーションで気持ちや考えを交換し和やかで友好的な雰囲気を醸し出すそうです。
 私は、コミュニケーションを自分の知識欲や知的好奇心を刺激したり満たしたりする手段としているそうです。このように分析してくれたのはカウンセラーでした(カウンセラーの分析については後半で改めて説明します)。

 

 唐突ですが、私は物心つく頃から、母親の食品の買い出しなどに連れ出されたとき、実に大人たちは何の目的もない会話をしていることに気が付き始めました。
 もちろんまだ私が自閉症ASDと分かっていない頃でした。
 余り外で遊ばず家で本を読むかピアノを弾くばかりの私でしたから、母親もどこか心配なところがあったのでしょう。 
 母親は私が人と「ふれあう」 ——— ふれあう:どうにも嫌な言葉です。ずかずかと私の自閉世界に入り込まれるような恐怖心と、双方で本音を隠して仲の良さを演じるように感じ、うそ寒さを覚え虫唾が走ります ——— 機会を作ろうとしたのでしょう、小学校3年くらいまではよく連れ出されました。 

 

 まあ、それ以降は私も我を通して簡単に言うことをきかなくなりましたから、母親と外出する機会は滅多になくなりました。
 成人してから数少ない友人にその頃、つまり私の物心つく頃の思い出話をしたところ、友人達は口を揃えて「育てにくい子だったろうねぇ」と言いました。
いまだにどうにも解《げ》せません

 

閑話休題(正しい使い方です)

 例を挙げると、スーパーの総菜売り場でコロッケを揚げているお姉さんと薬局の白衣を着たおばさんとでは全く違います。
 母親が使う化粧品も扱う薬局では、母親はテレビのドラマの中でしか聞いたことがないような言葉で話し、何がおかしいのか高めの音で(これがまたイヤ)白衣のおばさんとコロコロ笑いあっています。
 それでいて私がガラスケースの中に陳列してある薬の名や効能を聞くと「あんたにはまだいいの。」とピシャリです。

 

 その薬局で一度だけ母親は、ここに書くことも恥ずかしいような甘ったるい気取った表現で私のことをいきなり呼び、返答を求めました。私は面食らい誰のことを呼んでいるのか分からず固まってしまいました。
 なんとも面妖なことに、母親たちは固まって一種の場面緘黙のようになった私を見て「あらこの子、いつもはうるさいのにどうしたのかしら?」と、白衣の薬局のおばさんとコロコロ笑いあっていました。なんとも不愉快な経験です。

 

 こんなことを目の当たりにしながら成長するにつれ、私の頭の中には経験則と共に身に付けた法則が出来上がってきました。
 母親が人によって言葉も挙措動作も使い分けていることに疑問を持ったことが契機となって小学生の内に身に付けた法則です。その法則とは、

 

 ①大人は時と場所と相手によって言葉を使い分ける。
 ②言葉の使い分けには演技も含まれていて、相応しいと思う役を演じている。
 (これは母親を見ていて気がつきました。)
 ③時と場所ごとに、決まったルールや言葉遣い、態度がある(らしい)。
 (子供のころ夕方の再放送で眺めていた時代劇の遠山の金さんや、暴れん坊将軍が骨頂で端的
  な例です。)
 ④言葉や態度を使い分けることで、大人は何らの便益を得ている(らしい)。

 

 小学2年生の私はこの法則に「よくわからない法則」と名称を与え、以後、常に法則を意識しながら大人の行動を観察しました。

 

 そして、成長するにつれて周りの大人の言動が公明正大でないと感じるようになりました。大人の言動のどこにも規則性が感じられないのです。
 例えば私が洗い物を手伝わされてうっかり皿を割ったとします。
普段の母は「同じことを何回言わせるんだ!うわの空だから割るんだ!」と詰問。
それが「お皿が割れた?ケガしなかった?」と皿より私を心配する。
あるときは「形あるものはいつか壊れる。」です。
 私の行動は同じなのに母親から出る言葉は異なります。基準はどこにあるんだ!
と基準のあいまいさに怒りを覚えました。

 

 基準がよくわからない、公明正大でない「よくわからない法則」は、私の中でいつか「不正不公の法則」と名前が変わりました。

 

〈不正不公の法則に漂う不気味な不思議さ〉

  私の母親は、普段は誰が見ても下町によくいる、おせっかいでお人よしで威勢のいい折り紙付きの「おかみさん」です。
 母方の血筋を遡ると先祖代々の素っ町人《すっちょうにん》です。父方は東北の小藩の禄を食む《はむ》かたわら、それだけでは食えないので神職のようなこともやっていたそうです。どう贔屓目に見ても、両親どちらも由緒正しき素寒貧《すかんぴん》の家系です。

 

 

 そんな家系出身の絵にかいたような「おかみさん」の母親が、小2の私が目の当たりにした白衣の薬局おばさんに対するときのように、時と場合と相手によって、突然、共も連れず御高祖頭巾《おこそずきん》でお忍びで出かけた、どこぞの御大身《ごたいしん》の奥方———もちろん子供のころは語彙が少ないのでこのように感じたのではありません、成人した今振り返ると、このような古めかしい表現がぴったりくると感じています。———にでもなったように振舞うことを見るにつけ、なんとも不気味な不思議さを感じました。

  

 不気味な不思議さに気が付いた私は、その後は常に不正不公の法則を意識しながら、担任の先生をはじめとする周りの大人の言動を注意深く観察しました。
 するとテレビ番組では、それまで威張り散らしていた人が、自分より偉い人が現れるとしっぽを振るように偉い人に媚び、態度を急変させ笑いを狙っていることに気付きました。 

 

 小学校3年4年と担任してくださった先生が、私が5年になると隣のクラスの担任となりました。たまたま隣のクラスを覗いたとき、あの優しくて楽しい先生が、上級生になったのだからと一部の指導に関して非常に厳しくなっていました。
 その状況を見て、私は、下級生の面倒を見る5年生になったとの自覚を覚えるとともに、予期せずに相手が態度を急変させることもあると気付き、それまで感じていた不気味な不思議さに一種の恐怖が加わりました。

 

 子供なりにいろいろな経験をふまえ、そのうえで私なりに追及して作り上げたのが「不正不公の法則」です。
 この法則は、子供らしいと言えば聞こえはいいのですけれど、見る人が見れば、それよりも成人してからASDと分かった私自身が振り返っても、ASD丸出しの法則です。
 「言葉や態度を変えるには理由があるはずだ。何らかの便益があるから変えるのだ。ただし言葉や態度を変える基準はあいまいだ」と分析していたのですから、実にイヤな子ですねえ。

 

 そんな「不正不公法則」で世の中を見渡しつつ、わが法則の正しさに自信を深め、更にイヤな奴に成長し進路の決まった高3の終わり、私の頭の中には法則の他に、次に書くような今思えばとんでもない考えが固まっていました。

 

 まず、専門分野を除けば日本国内で一番まんべんなくすべての教科に学力があるのは共通一次を受験する(したばかりの)受験生である。つぎに18歳は若さも体力も満ち溢れている。そして世の中で偉そうにふるまう大人との違いは、裏と表の社会ルールの知識と経験値の多寡だけだ。

 

 何を血迷ったか読んだ本の数々にけし掛けられたのか、ほとんどの大学生は、キャンパスライフの充実と、就職先に選抜されることに汲々とするばかりで、学問の探求なんてやりはしないから、総合的な学力は落ちるばかりだ、よって共通一次を受験する(したばかりの)受験生が日本で一番勉強ができると勝手に決めていたのです。
 書きながら思い出しました。受験生の頃たまたま気分転換用に手にした故小峰 元《こみね はじめ》氏の、主人公の高校三年生がピカレスク小説さながら縦横無尽に活躍する数々の推理小説のなかにあった、主人公の科白《せりふ》に影響されたのだと思います。

 

 こんな考え(以下、俺一番と呼びます)に凝り固まった私は、それ以降は「自分は学力を落とさないぞ、周りは遊んでいる奴らばかりだ。」と、周りには一切目を向けず相手にすること無くグイグイ進みました。
 その証左と言う程でもないのでしょうけれど、社会人になった今でも、毎年新聞に発表される都立高の入試の問題には挑戦し、合格点をとるようにしています。
 これは、「高校入試というのは国が定めた義務教育の理解度の最終テストだから、合格点をとれなければ社会人として落第だ」と決めているからです。

 

 私はほとんどいつでも。上に書いたような、どう考えても常にASDの尊大型発動状態でいました。結句、私のコミュニケーションはマンガにも書かれているように「相手の都合にかまわず、自分の聞きたいことを単刀直入にずけずけと聞いていた」のだったのだと思います。

 

 このように書くと、いかにも自分で分析したようですけれども、私のコミュニケーションの「~単刀直入にずけずけ~」はASDと診断を受けての2回目のカウンセリングで、カウンセラーがカウンセリング劈頭《へきとう:真っ先に》に解説してくれた内容です。 
 優秀なカウンセラーは、私を落ち込ませたり傷付けたりすることなく私の言動を分析し的確なアドバイスを出してくれました。「あなたが思っている(行っている)コミュニケーションは、質問と自分の知識の披露と意見発表に尽きている。」と。

 

〈聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥〉

 2回目のカウンセリング時のカウンセラーの説明を要約します。
「あなた(英 太郎)のコミュニケーションは、自分の興味や自分の知見を深くするための質問と、自分の知識の披露と意見発表に尽きている。これでは新たな知識は身に付かないだろう。
 あなたが、一般の人が何を基準にして生きているのか、何を元に白黒善悪の判断をしているのか分からないと訴えるのも、一般の人の意見や考えを聞かずに(あなたが理に適っていると考える)自説を述べているだけであることが原因かもしれない。
 他人(ひと)の話を、聞く、聞き出すことができれば(あなたがダブルスタンダードだと言う)一般の人の基準の理解が進むだろう。だから、SSTに参加することで話を聞く、聞き出す手法を身に付けるべきだろう。」

 

 さすが腕っこき———ちょっと俗っぽい言い方ですね、熟練、老練ですかね、と言ってもカウンセラーは30代半ばの女性です———のカウンセラーです。
 ちょっと触るだけで血しぶく程に脆弱で、それでいて傲慢で驕傲《きょうごう》で私の尊大型ASDの支柱となっている臆病で横柄な自尊心———なんだか山月記の李徴みたいですねえ———を傷付けることなく、SST参加の利点をカウンセラーは提案しました。
 もしカウンセラーが「人間関係を円滑にするためにSSTを勧めます」のように提案したのなら、私は「大きなお世話だ!と激高し峻拒したと思います。
 理由は俺一番があるからと言えば、縷々書くまでもなく、読者諸賢はお分かりいただけますよね。

 

 カウンセラーは分かっていたのでしょう。私が不正不公の法則」を土台にした俺一番の考えのままグイグイ進んでいたことを。
 そこでカウンセラーは私の知識欲と自尊心をくすぐったのだと思います。
 お釈迦様の手のひらから出られなかった孫悟空のように、カウンセラーの手のひらで遊ばれた私は「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥(知らなきゃ損)」ということですねと勝手に納得し、二つ返事でSSTの参加を申し込みました。

 

 書いていて恥ずかしくなるほど単純です。ASDは理屈が通り納得できれば、いままで白いものが黒になっても、君子豹変の何が悪いと嘯《うそぶ》きながら、何事もなかったように新たな状況を受け入れることができるのです。
 世間から見て、自身が豹変する理屈が多少危ういと感じられるときは、後付けで利己的な理由を作り上げ、理屈を補強し自己正当化を図ります。
 何ともイヤな奴ですねえ。見方を変えればグイグイ押し通していた俺一番のまま成長していないとも言えますねえ(恥)。

 

 「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」とSSTを受講すると二つ返事でカウンセラーに回答したカウンセリングの帰り道、よくあるように、これで(SST受講)よいのか?と不安がむくむくと頭をもたげてきました。

 

 その不安とは、SSTという体験したことのない新しいもの、先の見通しの立たないものに参加するときに必ず覚える強い不安です。
 自分の決めたルールのままや、いつもと同じが良いとする典型的な自閉症ASD者が、新しいものに直面した時に必ず感じる恐怖に近い不安です。

 

 まとめると、自閉症ASDは自分のルール、いつもと同じにどっぷりつかっていれば安心できるという状況と、新しい知見が得られるものの、恐怖に近い不安感があり、かつ先の見通しの立たない新しいものであるSSTに参加するという状況は、全くの二律背反・アンビバレンツで相互に両立しないということです。

 

 二律背反・アンビバレンツの対処に慄き《おののき》恐怖に近い不安を抱えながらのカウンセリングの帰り道、カウンセリングの行き帰りに使う山手線の大塚駅のホームから見えるところにある「大塚三業通り」と書かれた看板が目に入りました。
 「三業地」の説明はこのエッセイの主旨と異なるので省きます、詳しく知りたい方は「大塚三業地」でググってください。
 私の頭の中では「三業地」から遊里花街が浮かび、続いてタイトルにした川柳が頭に浮かび、「見共武士」から東北の小藩の禄を食む父方の先祖が浮かびました。

 

 先にASDは自身が豹変する理屈が多少危ういと感じられるときは、後付けで利己的な理由を作り上げ、理屈を補強し自己正当化を図ると書きました。
 今回はいつもと同じから新しいものに挑戦するに豹変しなければなりません。
 豹変できる理由は「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥(しらなきゃ損)」だからSST参加で新たな知見———カウンセラーの言葉を借りれば一般の判断の基準———を得ることです。

 


 しかし、カウンセラーの前では新しいものに挑戦(SSTに参加)できると豹変し、勢いで自分を納得させたものの、二律背反・アンビバレンツの一方に頑強に聳え立つ自閉症ASDのいつもと同じがよいを突き崩すには理論武装が弱いのです。

 

 そこで私は、「大塚三業通り」から浮かんだ川柳と自分の祖先が間違いなくとるであろう行動を利用し、新しいものに挑戦できる豹変の理論武装と自己正当化を強化することとしました。

 

〈「癪《しゃく》を押せとは過言なり 身共《みども》武士」〉

 この句は江戸中期の川柳です。誹風柳多留《はいふうやなぎだる》か誹風末摘花《はいふうすえつむはな》の(どちらも句集の名称です)どちらかあるいは別のものか、出典についてはどうも記憶が曖昧なのですけれども、妙に頭に残っている句です。(句のままググっても結果が見つかりませんと表示されます。)

 

 川柳は田沼意次の治下、経済が発達し力をつけた町人たちのあいだで澎湃《ほうはい》と沸き起こった町人文化の一つで、採りあげた句は、おおっぴらに武士をからかい諧謔《かいぎゃく》のネタにしています。

   
 先祖のことを勝手に面白おかしく想像し、SSTに参加するための後付けの自己正当化の理屈に使うのも多少気が引けるのですけれども、ASDは豹変するための理論武装と自己正当化のためには、先祖の恥でも平気で利用する例として読者諸賢はご理解ください。

 

 江戸中期ともなれば、サムライで候の、二本差しでござるの、といったって、泰平の世が続いていますから、そんなものは役に立ちはせず「そろばん」が天下を取っています。貧乏サムライは町人の憫笑《びんしょう》を買うばかりです。

 

 先に父方の祖先は東北の小藩の禄を食んでいたと書きました。江戸時代ですから小藩と雖も《いえども》参勤交代はあります。殿さまが江戸に詰めるとなれば、家臣の端くれの我が先祖も、ぞろぞろと従って江戸にやってきます。つまり田舎侍の江戸勤番です。
 はるばる遠国からやってきた勤番武士は江戸への単身赴任です。泰平の世では特にやることもなく手持無沙汰で過ごしていたでしょうねえ。

 

  

 神職を兼ねていたサムライとはいえ我が先祖も人の子です。江戸城下を歩くだけで、とうてい国許にはいないような江戸の水に磨かれた女性たちを目にするでしょう。花のお江戸の遊里岡場所に惹かれることもあるでしょう。
まあ、出張中のサラリーマンが羽を伸ばすようなものでしょうねえ。

 

 遊里岡場所は武士も町人も身分を忘れ刀をあずけて、一夜の夢の国と遊ぶところです。「花は桜木、人は武士」と肩ひじ張ったところで、遊び方もしきたりも知らない田舎サムライは、野暮の塊で始末に困ると嗤われるのが関の山でしょう。
 おまけに、江戸の終わりには破産するような東北の小藩の勤番サムライ(我が先祖のことです)なんていうのは、手元不如意の見本のようなものです。
 金離れの悪い四角四面でゆうずうの利かない勤番サムライが、遊里岡場所で歓迎されるはずはありません。 

 

  「癪を押せとは過言なり 身共武士」 


 癪とは胃けいれんのようなものでしょうか。癪を押してくれと脂粉の香を漂わせた紅粉青蛾の妙齢の女性が、着物の胸元を緩め近づく目的までを、態々《わざわざ》ここで述べる必要はないでしょう。
 酌婦、遊女、芸妓なんでもいいです。彼女たちが「癪を押してくんなまし」とやると、我がご先祖の勤番田舎サムライ、顔色を変え、
 「卑しき勤めの身をもって武士に向かって癪を押せとは何たる雑言、過言。身共は武士じゃ。小藩とは言え○○藩家臣に向かって何たる無礼!」
と我が血脈ならやっただろうなあ。

 

 件《くだん》の彼女たち
「これだから田舎サムライは‥」「塩をお撒き」でしょうね。

 

 遊里のしきたりも情趣も解しない、無粋で野暮天な浅葱裏《あさぎうら》と呼ばれる田舎侍を、川柳子は思いきり笑い飛ばしています。

 

 ここまでお読みいただいた読者諸賢はもうお気づきでしょう。遊里岡場所で、サムライで候の、二本差しでござるの、花は桜木、人は武士と、手元不如意の我が先祖の田舎サムライが肩ひじ張っている姿は、私が高3で決めた「不正不公の法則」をもとに俺が一番のまま周りに目を向けず一人グイグイ進む姿と重なることを。

 

〈理論武装できた?〉

 NHKホームページ健康チャンネルに『大人の「自閉症スペクトラム(ASD)とは?特性の理解が大切」』というページがあります。
 (https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1071.html)
 このページの大人のASDコミュニケーションの特徴には以下のような記述があります。(抜粋)


 ①相手の立場に立って考えることが苦手
 ②言葉を文字通り解釈する 想像力が乏しい
 ③幅のある表現を受けての対応が難しい場合がある

 

 上記を見れば、いちいち田舎サムライの言動と突き合わせなくとも「癪を押せとは過言なり 身共武士」と川柳子にからかわれる理由は分かりますね。
 現代に置き換えれば、自閉症ASDの人が、空気が読めない、自分の考えを押し通す等々(書き上げるとイヤになるので以下略)で周りから冷笑されたり疎まれたりすることと同じです。いっそ川柳子のように笑い飛ばせればよいのですけれど‥。

 

 さあ果たして私は、新しいものに取り組む恐怖に近い不安感を解消して豹変する理論武装ができたでしょうか。
答えは否です。
 しかし書くうちに、先祖がサムライでござるを押し通したように、子どもの頃の「不正不公の法則」をもとに俺が一番とした自分のルールを押し通すと、どこかで必ず周りを困らせたり、陰での失笑や憫笑を齎す《もたらす》言動をしてしまうであろうことも強く感じました。そしてそれらを可能な限り避けたいとの気持ちも強くなりました。

 

 理論武装とはいえないまでも、SSTという新しいものに挑戦する恐怖に近い不安感をだいぶ押し戻すことはできたように感じます。
 さあSSTに参加できる理由がはっきりとしました。
次回はその顛末をお伝えしようと思います。

 

以下part2に続きます。

 

※関連記事:マンガハーティ推進室の日常『episode15』

  • Twitter
  • Facebook