轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode4

こんにちは、英太郎です。ハーティ推進室の日常episode4では、知的障がいに自閉症を併せ持つ沖田さんの行動が取り上げられます。

自閉症〜自己中心の空想的な精神生活

 「自閉症は英語では、autismです。ギリシャ語のautos-(自己)と-ismos(状態)を組み合わせて作られており、現実生活から退却して、自己中心の空想的な精神生活が優越する精神状態をイメージしたものと考えられる」と、信州大学医学部子どものこころの発達医学教室の本田秀夫教授が、2018年の信州医誌Vol.66の巻頭言『「自閉」と言う言葉の由来と概念の変遷』(一部抜粋)にお書きになっています。

 このコラムは英太郎のひとりごとですから、これから述べることは、私のひとりごと、つまり私個人の考えや感じ方だと読んでくださる方には受け止めてもらってかまいません。しかし、私個人の考え方や感じ方をもとに、自閉症の人のいろいろな特徴的な行動を分析すると、特徴的な行動をする理由が垣間見えてきました。もちろん、すべての自閉症の人に当てはまるとは毛頭思っていません。

言い訳がましいのですが、私個人の考えであることを前提に読んでください。

斯くあるべしというルール

 まず、本田先生の文章にある「自己中心の空想的な精神生活」とは、私の場合はどんなものか説明しましょう。空想的だからと言って自分がスーパーマンになるような突拍子もない荒唐無稽な世界ではありません。私の場合は、〇〇は斯くあるべき、〇〇には何を入れても構いません、例えば恋愛は斯くあるべしでもよいです。生きる上のことや、生活や仕事のこと全てに斯くあるべしとルールが出来ています。斯くあるべきのルールは、物心ついてから見聞きした事象や学校や書物や社会生活を送ってきたうえで私が学習して、自ら納得して身につけたルールです。この斯くあるべきが「空想的な精神生活」の心柱の一つになっています。斯くあるべきを、信念や定理と置き換えたら、より分かりやすいかもしれません。

 私が過去に嫌になるほど繰り返し親や上司や同僚から言われた言葉に「理屈としては正しいけれど、人には感情があるし、なかなか現実は理屈通り動かない。」があります。理屈を斯くあるべきに置き換えると、私の心柱の一つの斯くあるべきは決して自己中心ではないと思います。正直なところ、「自己中心の空想的な精神生活」と自己中心をつけられると切歯扼腕する思いがあります。

沖田さんの斯くあるべしについて考える

 そろそろ本題のマンガのepisode4に目を向けてみましょう。轟さんは「前から来た人にぶつかりそうになったことも含めて、自閉症に見られる傾向の一つ」と言っています。続いて「沖田さんは清掃を時間内に終わらせることばかり考えていたでしょうから~話しは終わったと判断~」とも言ってます。

 自閉症に見られる一つの傾向と言われた沖田さんの行動を、上記した私の斯くあるべき論に当てはめて分析してみましょう。沖田さんの頭の中では清掃作業は斯くあるべきと固まっていたと思います。道具の使い方、汚れの落とし方、清掃の手順に清掃する部屋の順番に開始時刻から終了時間までが、沖田さんの頭の中で斯くあるべしとしっかりと形作られ、それ以外のことは考えられない、目に入らない状態になっていたと思います。

言い換えれば、沖田さんの頭の中には清掃作業斯くあるべし以外は存在せず、清掃作業斯くあるべしがジャマされることは我慢できない状態だったと思います。

 同じように斯くあるべきで分析すれば、次の部屋に移動するには廊下をまっすぐ決まった速さで歩く、これしか沖田さんは考えていませんから、すれ違う人とぶつかりそうになったこと事態に全く気が付いていないか、もしかしたらすれ違う人が見えていなかったかもしれません。

廊下を歩く沖田さんにとっては、次の部屋への定刻移動が優先順位一位の行動です。この状態では、一丸さんに何か話しかけられても上の空かジャマされたくらいにしか感じていないでしょう。市丸さんが言葉に詰まればジャマはなくなったとして、すぐに優先順位一の行動に戻っただけでしょう。沖田さんには悪気も何もありはしません、沖田さんの思う斯くあるべきに従っただけです。

 おや?ここまで書いて気が付きました。私がーおそらく沖田さんもー斯くあるべきで行動しているときは、回りの人の反応や思惑なんて、斯くあるべきと比べたら誤差の範囲くらいにしか認識していません。そうすると自己中心は切歯扼腕と書いた事も考え直さなければならない気がします。

episode5でもう少し掘り下げてみましょう。

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