轟課長
英社員

英太郎のひとりごと episode8 part-1

 こんにちは。英太郎です。単刀直入に本題に入ります。

「マンガ ハーティ推進室の日常」episode8「朝一番で提出」では二つの障がい特性が取り上げられています。一つは自閉症の「視線回避」です。もう一つは轟さんが一丸さんに説明している「知的障がいや自閉症のある人は臨機応変な判断や対応が苦手」です。どちらも自閉症や知的障がいのある人達の行動を理解するうえで大切な要素です。episode8ではそれらのうち「視線回避」を中心に考察しようと思います。

視線回避とは何か

 手っ取り早く言えばマンガ前半に見られる藤堂さんの行動です。藤堂さんはepisode7で自閉症の他に聴覚過敏があると紹介されています。藤堂さんは桜坂さんに話しかけられても、桜坂さんと目を合わせていません。意識的に目を合わせないようにしているようにも見受けられます。このような自閉症のある人に特有な相手と目を合わさない行為を視線回避と呼ぶそうです。

 視線回避はepisode4自閉症の行動にも取り上げられています。一丸さんが「沖田さん…」と言葉をかけたときに、自閉の強い沖田さんは言葉をかけた一丸さんの方を向きません。自分の方を向いてくれない沖田さんの行動に一丸さんは言葉に詰まってしまいます。すると沖田さんは「用がないなら失礼」と言わんばかりに立ち去ってしまうシーンです。

轟さんは沖田さんの行動を「私たちは通常相手の目を見て話してコミュニケーションをとります。でも、自閉症のひとは相手の目を見ることが苦手です。」と一丸さんに視線回避を説明します。続いて「それが恐怖心なのか何なのかは分かりませんが…」と視線回避をする理由を上げています。

 知的障がいのない自閉症のアスペルガー症候群である私の場合を説明します。一言で言うと、相手の目を見ることも相手から見られることも苦痛です。端的に言えば、見ることも見られることも不愉快極まりない行為です。社会生活の経験上、露骨な視線回避こそしていないだけです。

私の視線回避対策

 かつて就職のために受けた研修や研修のテキストには、ひとは視線や表情や顔色、声のトーン、話す速度、ジェスチャーなどの言葉以外の要素で相手の心情などを読み取るノンバーバル・コミュニケーション(会話や文字を介さない非言語コミュニケーション)で9割近い情報を受け取る、相手を見ることでこちらの誠意を伝える、視線の使い方が大事だとありました。相手を見ない視線回避など言語道断だと言わんばかりです。

 採用試験には面接や討論もありますから、コミュニケーション能力を要求されていることは明らかです。ノンバーバル・コミュニケーション能力が高くないとコミュニケーション能力が低いと判断され、試験の結果を左右することになるでしょう。気が付くと、視線回避をせずに相手の目を見ることは、私にとって人生を左右しかねない一大事になっていました。

 早速対策を練りました。声のトーンや話す速度にジェスチャーは努力すれば何とかなると思いました。それ以外の、相手の目を見る視線の使い方については、前記したように見ることも見られることも不愉快極まりないうえに、会話中の表情に至っては、赤ちゃんに笑顔を向けるくらいしか経験がありません。顔色なんて過去に一度も意識したこともありませんから、視線、表情、顔色については対策の施しようがありません。しかし研修ではこれらが大切だと言い続けていました。

 途方に暮れた私が最初にとった行動は、演説(スピーチ)が巧いと言われている人たちの話すようすの調査です。YouTubeで調べました。そして気が付いたのは、演説(スピーチ)の間中ずっと聴取者の方を見ているわけではなく、話しの始めと言葉の切れ目に、特に強調したいところで聴取者の方を見ていることでした。次にテレビドラマを調べましたが、こちらはカメラのカットが変わるので参考になりません。最後に周りの会話のようすを調べました。テーブルをはさんで正面から向き合って話していても、ずっと相手を見ているわけではないことに気が付きました。また、研修では真正面から相手の目を見つめることは睨みつけるようで良くない、やわらかく見るようにと言われました。これで覚悟が決まり、言葉の始まりと言葉の切れ目と強調したいときに相手の目を見ているように見える演技の習得に取り組みました。どうしても相手の目を見ることに対する不快感を消すことができないので、相手の顔の下半分の口元から顎先あたりを見るようにしました。試験だから笑顔の必要はないだろう、そして体調が良ければ顔色も悪くないだろうと、この二つは演技の要素から外しました。

 現在の私は、最大限の努力で不愉快な気分を隠し、できる限り意識的に相手の顔の下半分あたりを見て、いかにもコミュニケーションが取れているような演技を続けています。あくまで演技ですから、未だに相手の目を見ることはできませんし、準備していなければ自分の口調や身振り手振りまで意識は回りません。

 Googleで「目は口程に物を言う 類語」と検索すると、たくさんの言葉や言い回しや例文が出てきます。類語の数が多いことからも、定型発達の人にとっては相手の目を見ることが人間関係を維持するうえで大切な要素であることは分かります。しかしASDの私にとっては、話す内容が正しく聞き手を納得させられるものならば、相手の目を見るノンバーバルなんて関係ないだろう、理解できない聞き手の能力に何か欠落があるのじゃないか、視線回避の何が悪いんだという気持ちは、傲慢とは思いつつも常に頭のどこかにあります。(つづく)

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